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【ロボット業界で活躍する女性たち】第1回:株式会社アールティ代表取締役
中川友紀子氏 Vol.2「ロボカップ小型リーグとの出会い」

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ロボットも機械の一種であることから、どうしても男性の専売特許的なイメージがあるが、今や時代は変わり、活躍している女性は少なくない。とはいっても、これから進路を決めようとする10代から20代前半の人にとっては、悩ましいところだろう。特に、女子高校生にとって大学への進学は人生の大きな岐路となるが、ロボット系の学科にロボットが好きというだけで進んでいいのか疑問に感じている人もいるのではないだろうか。

そこで、このコーナーでは、ロボット業界の各方面ですでに活躍している女性にインタビューをし、どんな仕事をしているのか、何がきっかけでロボットを好きになり、この業界に入ったのか、またロボットのどんなところが面白いのか、そしてどのような部分に女性としての感性を活かせているのかといった点を聴かせていただく。

8月は第1回(ひとり目)ということで、女性ロボット研究者の先駆けのひとりであり、現在は自ら興した株式会社アールティの代表取締役を務める中川友紀子氏にご登場いただいている。子供の頃に見た石ノ森章太郎氏原作のアニメ「サイボーグ009」が好きで、大学はサイボーグを作りたくて人工臓器などのバイオ系の学科を目指していたそうだが、最終的には電気工学科に入学し、そこでマイクロマウスと出会ったことで人生が大きく転換。ロボットと関わるようになりだしたというのが、前回までだ。Vol.2では、大学生活の後半から研究者としての活動の前半をお話しいただく。(株式会社アールティにて収録)


─大学1年生の時にマイクロマウスに出会って、そのままロボット系の方向に進んだのでしょうか?

中川氏:そこからロボットにどっぷりというわけではなくて、実際に研究していたのは、コンピュータビジョン(画像認識・画像処理)とか自然言語処理なんです。

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─コンピュータビジョンというと最近の分野のような気もしますが、結構以前からあるんですね。とはいっても、90年代前半のお話ということですから、コンピュータの処理速度の点からいって、大変そうですが。

中川氏:古くは、考え方としては1960年代までさかのぼるんですよ。おっしゃるとおりで、コンピュータのスペック的な問題から、当時はもちろん今みたいなことはなかなかできなかったわけですが。日本だと、郵便番号の画像認識から本格的に研究されだしたんです。あと、時代を感じるといえば、自然言語処理に関してもそう。当時は、漢字変換も人工知能の1分野だったんですよ。今では当たり前のようにPCや携帯で使えますし、携帯の予測変換なんかあまりにも便利すぎて、若い子たちが文章を書けなくなったり、漢字の読み方さえわからなくなるなど、弊害が出てしまっているぐらいですが。

─世の中を便利にしようとして中川さん自身も研究していた分野が、デメリットも世の中に与えてしまっているのは、ご自身、複雑な心境でしょう。そのコンピュータビジョンや自然言語処理の研究ですが、どういう風にロボットに結びついていくんでしょう? まぁ、要素技術というか関連分野ではありますが。

中川氏:ロボットに行く前に、もうひとつターニングポイントがありました。3年生になってゼミに入って、UNIXと出会ったことですね。もう研究者というよりは、プログラマーでした。とにかくプログラムするのが大好きで、今ではなくなりましたけど、キーボードダコが手のひらとかにありましたし、何回も腱鞘炎をやってしまって、医者に「次にやったら切開してほぐすからね」といわれるぐらいプログラムするのが好きでしたねー(笑)。朝から晩まで、寝る時以外はもうずっと。当時は今みたいにひとりに1台という時代ではないので、いいコンピュータを使おうと思ったら、朝早くから学校に行ってキープするしかないんですよね。

─もうドップリという感じでハマっていたんですねー。ちなみに、当時、そんなプログラミングにハマるような方はもちろん、理系の女性自体が少なかったですよね?

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中川氏:今はだいぶ増えてきましたけど、当時は理系に進む女子は少なかったですね。子供向けのロボット工作教室をやっていると、小学校の内は男女関係なく作って楽しんでいるんですけど、中学校になると、女子はやっぱり遠ざかるんですよ。理由を聞くと、「理系をやっていると、もてないんだもん」という答えが返ってきます(笑)。でも、逆に理系は女性の比率が少ないから、大学に入ってからはもてるんですよ。ロボットで婚活とかいけそうな気がするぐらい(笑)。理系男性は、理系に理解を示してくれる女性の方がいいでしょ?

─その企画、アールティでやったらどうですか(笑)? とにかく、理系は男性が多いから、もてたい女子は理系を選べ、と。男性心理からして、周囲に男性しかいない中に女性がひとりいたら、それはそれは輝いて見えますよ。というわけで、女子中高生のみなさん、男性にもてたかったら理系に進もう! ロボット学科なんて、内容は面白いしもてるしで、一石二鳥!! なんて、横道の話はおいといて(笑)、プログラム中毒みたいな状況だったのに、そこからまたどうしてロボットに目が向いたんでしょう?

中川氏:大学を卒業して、そのまま大学に残ってコンピュータビジョンの分野で研究者になったのですが、動画とかを固定で撮っていると、カメラの首を振りたい時があるんですよ。だったら、ロボットを積んだらいいのでは? という発想になりまして。ただし、当時はサーボモータがものすごく高くて。駆け出しの研究者にとってはとてもとても手が出るような価格ではなかったので、結局はそのアイディアは実現できなかったのですが。今なら安いからいいんですけどね~(笑)。

─アールティでもお安く売ってますしね(笑)。話を戻しますが、コンピュータビジョンの研究の中で、ロボット的なものがあると便利ということで、再びロボットを意識するようになってきたと。でも、結局はその時はできなかったわけですから、何かもうひとつきっかけがありそうですね。

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中川氏:はい。そんな時に、ロボカップが始まったんですよ。1997年に第1回世界大会が、名古屋で開催されたんです。自分が東京工業大学(以下、東工大)で助手をしていた時ですね。後に、私は天井から見る小型リーグをやることになるのですが、まさにマイクロマウスとコンピュータビジョンを融合させた世界でした。

─西暦2050年に「サッカーの世界チャンピオンチームに勝てる、自律型ロボットのチームを作る」という目標をもって、日本の研究者が提唱してスタートした大会ですね。今では世界的に活発で、提唱した日本がなかなか勝てないぐらいになっているのが、僕なんか悔しいですけど。

中川氏:ロボカップは第1回から見ていますから、2050年にはかぶりつきで見ないといけないって思ってます(笑)。

─まだだいぶ先ですが(笑)。それぐらい、ロボカップには思い入れがあるということですね。

中川氏:2050年には80近くなっていますが、うちの家系の女性陣はみんな90歳以上と長生きなので大丈夫です(笑)。それで、東工大には3年半ほどいたのですが、ロボカップを提唱した北野宏明先生(現ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役所長)が小型リーグをやる人を探していたので、ERATO(戦略的創造研究推進事業)北野共生システムプロジェクトに移ったというわけです。

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─ERATOとは、独立行政法人科学技術振興機構の基礎研究事業のことで、さまざまな研究プロジェクトがありますね。北野共生システムプロジェクトは、1998年にスタート、2003年に終了したロボット業界では有名なプロジェクトですね。せっかくなので、ここで、少し経歴をおさらいしてもらえますか。

中川氏:入学した大学は法政で、工学部電気工学科計測制御専攻を1993年に卒業しました。そのまま大学院に進み、95年03月に法政大学大学院工学研究科システム工学専攻を修了しています。その4月には、私の師匠である廣田薫先生に誘っていただきまして、法政大から東工大に一緒に移って、同大学の大学院総合理工学研究科で助手となりました。そして、1998年10月に北野共生システムプロジェクトに移ったという具合です。(以下、Vol.3に続く)

Vol.3は、8月23日(月)に掲載予定。北野共生システムプロジェクトに移って、さらには日本科学未来館に移ってからの話などを伺っていく。お楽しみに。

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