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【ロボット業界で活躍する女性たち】第1回:株式会社アールティ代表取締役
中川友紀子氏 Vol.3「日本科学未来館ではASIMOのデモも作成」

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「男のもの」というイメージがあるロボット。だいぶ女性研究者がどんどん増えているし、理工系の女子大学生も珍しくなくなってきたのだが、ロボット業界で働くというのは、まだまだ女性にとっては敷居が高いのではないだろうか。

そこで、「ロボット業界で働く女性たち」では、実際に活躍している研究者や企業の広報の方など、ロボット業界の女性に話を伺っていく。どうしてロボットが好きになったのか、どんなことをしてきたのか、ロボットに対して女性ならではのどんなアプローチをしているのか。そうしたことを、これから理工系、中でもロボット系の学科を選択しようとしているような10代の女の子たちに、お見せしたい。第1回は、かつては女性ロボット研究者の先駆者達として活躍し、現在は株式会社アールティの代表取締役を務める、中川友紀子氏にご登場いただいている。

大学生の時にマイクロマウスでロボットに目覚めたものの、研究テーマはコンピュータビジョンや自然言語処理だったという中川氏が、東京工業大学の助手時代にロボカップと出会ったことが、ロボットの研究者となった最大のきっかけであることは、前回まででお伝えした。同競技の小型リーグをやるため、ロボカップの提唱者である北野宏明氏(現ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役所長)が責任者を務めていた、科学技術振興機構(JST)のERATO(戦略的創造研究推進事業)北野共生システムプロジェクトに研究員に移ったのである。Vol.3は、その先の話を伺っていく。


─北野共生システムプロジェクトというのはこれまた、ロボット関連ではメジャーなプロジェクトですね。「ロボット業界のキーマンに聴く」第1回にご登場いただいている、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長の古田貴之氏も、同プロジェクト出身ですし。

中川氏:当時は別のチームだったのであまりお話しする機会もなかったですね。

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─もちろん、インタビュアーにもよるかと思いますが、自分の場合、おふたりには面白いお話を聴かせてもらえるという絶対的な確信があって、まず1回目にご登場いただいたのですが、たまたまおふたりとも同プロジェクトの出身だったというのは、世間は狭いな、と(笑)。

中川氏:狭いですね(笑)。

─それにしても、思い切った決断だったんじゃないですかね。まぁ、転職といえば転職なんでしょうけど、ずっとお世話になっていた先生のもとを離れて移籍するというのは、決断がいりますよね。中川さんは、その決断力がポイントなのかなと感じます。これは、10代の女の子たちにも覚えておいてもらいたいですね。弟子として成長したところを見せられれば、直接的ではないかも知れませんが、師匠への恩返しになりますし。礼を失した形でドライに移籍するというのはよくありませんが。ところで、大学の研究者とプロジェクトの研究員と、どんな風に違いましたか?

中川氏:いろいろなことをできたので、どちらかといえば、研究員の方が面白かったですかね。もちろん、大学の研究者時代もさまざまなことを学ばしてもらいましたので、なかなかどっちとは選びにくいのですが。

─ロボカップの小型リーグができる人ということで移られたわけですが、実際にどんなことをしたんですか?

中川氏:ロボカップに関しては、プロジェクトに移った1998年から2002年まで、小型リーグの国際委員と国内委員を担当しました。研究としては、自律移動ロボットなどの研究をしていますし、それまでやってきたコンピュータビジョンも、自律移動には重要な技術なので、研究を続けました。

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─国際委員というのは大変かと思いますが、中川さんは英語が得意ですもんね。

中川氏:いやー、最初から英語ができたわけじゃないんですよ。私自身、ロボカップの世界大会にも出場して、そこで英語でうまく説明できなかったせいで負けて、それが悔しくて覚えたんですよ。英語だって、必要になれば、必死になって覚えますよ。

─苦手だとか、英語での論文発表は無理だとか、最初から投げちゃいけないと。ほんと、英語、特にビジネスや学術的な英語を話せれば、世界中のどこででも食べていけるから、職に困らないですよね。なんかこう、日本の英語教育って、子供たちにコンプレックスを植え付けることを目的にしているのかと、うがった見方をしてしまうようなところがあるので、もっと便利なんだぞってことや「覚えたい!」って思わせるような仕組みを、学校の授業そのものに持たせられるといいんですけどね~。横道にそれてしまいましたが、2003年以降は、もうロボカップの委員は担当しなかったのですか?

中川氏:2003年からは、ロボカップ日本委員会小型リーグ運営委員をしています。

─日本科学未来館(以下、未来館)でも働いていたという話を伺ったのですが、それはいつ、どういうきっかけで移られたのですか?

中川氏:未来館に移ったのは、2001年のことですね。展示企画グループサブリーダーを担当しました。プロジェクトの研究員をやめてどこかに移るか、同じJSTが運営する展示部門(未来館)に移るかという話になった時、一度は展示とかの博物館系の仕事はしてみたいなと思っていたのがきっかけですね。でも、最初は未来館でも研究できるという話だったんですけど、そんなことはなかったです(笑)。ただ、博物館の仕事もやりたかったことだから、凄く楽しかったですね。ほとんど天職だと思っていました。でも年限があるから、いずれはやめないとならないのが残念でした。

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─未来館のロボット展示を担当したと伺いましたが。

中川氏:そうです。2002年04月にオープンして現在もあるロボットワールド(3Fの「EX2 技術革新と未来」の中の1コーナー)は私がデザインしました。さすがに、未来館は2003年で退職しているので、その後に新しく追加されたのもありますが、まだ一部は当時からのものが残っているはずです。それから、5Fの「EX4 生命の科学と人間」のフロア設計もしました。2002年10月から2003年02月まで開催した展覧会の「ゴジラと科学展」のロボット関連コーナー、2003年の7月から9月まで開催した展覧会「ロボットGoGo!」の全体演出と管理もしました。ほかにも、NASDA(JAXA以前の日本の宇宙機関のひとつ)主催の2002年09月のISSとの交信イベント「宇宙に好奇心!」もシナリオを担当しました。

─あと、ASIMOのデモのシナリオなんかも担当されたんですよね?

中川氏:初めてホンダからASIMOをレンタルしたのが、未来館だったんですよ。私がいた当時は、まだ2000年に登場した初代ASIMOだったのですが。今は新型(2005年登場の2代目)に交代してデモンストレーションをしていますけど、当時のデモのバージョンの1から9までは、私が考えました。

─いや、それ、すごいですよね。自分も子供を連れて観に行った記憶があります。あの時、あれを中川さんが考えていて、なおかつスタッフとして現場で活躍されていたんだと思うと、なんとも不思議な感じがします。もしかしたら、いろいろと話を聞かせてもらっていたのかも知れませんね。また、ASIMOの話は別の機会に聞かせてください。記事にできない裏話とか、ぜひ聞きたいです(笑)。

中川氏:(笑)

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─ここまでお話を伺わせていただいて、サービスロボットの研究、開発、そして展示やイベントなど、本当にいろいろな部分に関わってこられたというのがわかります。改めて、こうしてロボットに関わってきて、どういう感想を持っていらっしゃいますか?

中川氏:自分が学生時代、指導教官だった先生がファジィを専門にされていて、ファジィ理論は人工知能の一分野なのですが、その歴史を見てきたという話を聞いて凄くうらやましかったのですが、今は自分がロボット、とりわけサービスロボットの発展を見てきているし、研究者としても企業のオーナーとしても関わっているというか、歴史の1ページを書いているというのが実感できて、嬉しいですね。(以下、最終回Vol.4に続く)


この後、中川氏は、2003年にベンチャーの株式会社イクシスリサーチ取締役となり、2005年09月にいよいよアールティを設立します。次回、最終回は女性ならではの観点でのロボットビジネス的なお話を聴かせてもらう予定です。

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